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裁判員裁判の現場から―市民モニターの声⑤

2011年5月13日

裁判員ネットでは、市民による裁判員裁判の傍聴と、傍聴した裁判について自分たちなりの「判決」を出してみるという「模擬評議」のふたつから成る「裁判員裁判市民モニター」を実施しています。2011年5月現在、100名を超す方に市民モニターとして裁判員裁判を傍聴していただいております。
ここでは、市民モニター終了後にお寄せいただいた裁判についてのご意見やご感想のうち、了承を得たものについて紹介いたします。

■「市民の視点」で裁判にかかわるということ

今回、私は生まれて初めて裁判所へと出向きました。3日間通してある事件の裁判を傍聴したのですが、傍聴を終えて大きな疲労感や何とも言えない感情が自分の中で湧きあがってきました。
今回の傍聴では、裁判とはどのようなものなのかということを実際に身をもって体験するということが大切だったと感じています。加えて実際に裁判員になった方たちと同じ様な立場に身を置くことで、裁判員を疑似的に体験するというということも重要だったように思います。実際に一つの裁判を最初から判決まで傍聴してみて、まず最初に大きな疲労感を感じました。もちろん3日間連続でほぼ一日中、傍聴席に座っていることが肉体的に辛いということは事前に予想していました。しかし、実際にはその疲労感のほとんどは「精神的な疲れ」が占めていたように思います。
刑事事件の裁判である以上、当然のことではありますが、そこには被告人と被害者が存在します。裁判が進んでいく中で、それらの人々の個人的な事情や被害の程度などを聞いていくうちに、心をえぐられるような気持ちになりました。裁判員の方々は、証拠調べの際に被害者の負った怪我についての説明を受け、モニターで医師の診断書や実際の写真も目にしていたようで、映像をみて顔を歪める裁判員の方もいらっしゃいました。私自身も被害者に感情移入してしまったり、被告人の言動が理解できなかったりなど、裁判を通して次々に目の当たりにする出来事に心がついていかず、とまどってしまう場面もありました。
このような経験を通して、私は「人を裁く」ということの重みを改めて感じることとなりました。「市民の声を法の現場に入れる」こと自体が裁判員制度の意義のひとつだといえるでしょう。しかし、実際に市民の視点で自分が抱いた感想や判断が量刑や判決に影響を与えるとなると、その責任は重大であり、できるだけ「公正な目」を持ちたいと感じるものです。日常生活とはかけ離れた存在である「事件」に触れ、その詳細について知るということだけでも大変なプレッシャーなのにも関わらず、その上「公正な判断」を、と自らを律して裁判に臨んでいるであろう裁判員の方々の心労を考えると言葉も出ません。「市民の視点で事件を見つめ、市民の感覚を反映させた判決」というのは、確かに望ましいものだと感じますが、それは裁判員の方々の大きな葛藤や心労の結晶と言えるのではないかと感じました。ただ傍聴しただけの私でも多くのことを感じ、悩んでしまいました。実際に判決や量刑に関わった裁判員の方々が感じたプレッシャーや辛さは想像できないほどだと思い、それに対するしっかりとしたサポートの必要性を強く感じました。
今回の傍聴は私にとってとても良い経験になりました。傍聴を通じ、「法学や裁判に関する知識がないからこそ」見えてくるものや疑問があるのではないかと思いました。そういった独自の視点を大切にしてこれからも裁判員制度について考えていきたいです。
(魚谷理恵)

■裁判員の経験は何を得るか

私は今回、初めて裁判を傍聴しました。メディアや書籍で悪いイメージを帯びて語られることの多い「被告」を直接見るのも初めてでした。実際に見ていると、被告人は私たちと変わらない一人の人間でした。被告人・被害者双方に彼らの人生があり、今まで何を思って生きてきたか、そしてこれからどう生きていくのかを考えるととても悲しくなりました。
裁判員は彼らと同じ人間であり、同じ世界に生きている人々から選出されます。そのような同じ世界の同じ人間を裁くのは簡単なことではないと思います。傍聴しているだけで相当な疲労感を感じるにも関わらず、裁判員は時に衝撃的な証拠を見なければいけません。そして、目の前の被告人の人生に大きな影響を与えなければなりません。裁判員の精神的負担は非常に大きいと予想されます。
なぜこのように「全くの他人が起こした事件について考え、そしてその人の人生に大きな影響を与える」という負担を負わなければいけないのでしょうか。公判が終了したあと、改めて考えました。
人間は関わりあって生きています。日常ではその実感が薄く、周囲の問題にのみ関心を向けがちです。ですが裁判員はニュースで取り扱われるような事件を自分の目で見なければなりません。その時、別の世界での出来事だと思っていた事件が、自分の生きている世界で起きていたということを認識せざるを得ないでしょう。裁判員の経験は世界観を一変させるものなのではないでしょうか。
裁判員制度はまだまだ課題があるように思えます。ですが私は裁判員制度を続けていくべきであると考えました。裁判員制度は、社会の問題を自分たちの問題として考える基礎を築くものだと私は考えています。
裁判員裁判を傍聴した今、私は裁判員にはできるだけなりたくありません。しかし要請されたらやりたいと思っています。前半の理由は疲労が大きいことです。後半に関しては、担当する事件にどんな社会的な問題が隠れているのか、またその問題に関して自分が出来ることはないのか知りたいからです。
今回の裁判では判決の時、裁判長が被告人にこれからの生き方について、犯した罪をどう償えば良いのか、といった言葉をかけていました。被告人はそれに頷いていました。被告人も、自分の周囲だけが世界の全てではないことを理解してくれれば、と思います。
(佐藤愛美)



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