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裁判員裁判の現場から―市民モニターの声②

2011年5月5日

裁判員ネットでは、市民による裁判員裁判の傍聴と、傍聴した裁判について自分たちなりの「判決」を出してみるという「模擬評議」のふたつから成る「裁判員裁判市民モニター」を実施しています。2011年5月現在、100名を超す方に市民モニターとして裁判員裁判を傍聴していただいております。
ここでは、市民モニター終了後にお寄せいただいた裁判についてのご意見やご感想のうち、了承を得たものについて紹介いたします。

■傍聴を経て―「生身の人間としての被告人」について考える

公判の初日、裁判長、裁判官、裁判員の9名が入廷して席についた瞬間に、まず私が最初に感じたことは「黒い服が少ない。」ということでした。以前私は裁判員裁判でない裁判を傍聴したことがありましたが、それに比べて今回の裁判は、ぱっと見て視覚的に色とりどりでした。このことが、市民が市民を裁くという現実を私がはじめて肌身で感じた瞬間でした。
公判では「市民が裁く」ということが強く意識されており、わかりやすくしようという思いが裁判官、検察官、弁護人の三者から伝わってきました。具体的には、難しい言葉を易しく言い換えたり、どこが議論のポイントなのかということをあらかじめはっきりと提示したりしていました。その一方でこんな場面も目撃しました。裁判員のひとりがが公判中に居眠りをしていたかのように見えました。一般の市民とはいえ、裁判員になったからには、一人の人間の人生を大きく左右するような決断をしなければなりません。与えられた全ての証拠を吟味して、その結果判決を下すというのが裁く側の責任であるはずです。このような責任の重さを強く意識していた私は、そのような裁判員の姿にはとてもショックを受けました。
今回、裁判員裁判を実際に傍聴したことで、自分がいつか裁判員として裁く側になった時のことを具体的にイメージすることができました。さらに、ただ傍聴するだけでなく、「模擬評議」という形で実際の裁判員と同じように議論を交わしたこともとても意味のあることでした。公判を見た後、他のメンバーと意見を交換し、さらに一度自分の中で答えを出してみる。これによって人が人を裁くことの難しさを実感できました。多数決で結果が出た後、「それではこれで被告人の量刑が確定しました。」と言われた瞬間、もしこれが本当の評議であれば、自分たちの手で一人の人間の人生を左右する大きな決断をしたことになるのだと思うとなんだか恐ろしくなり、ぞくっとしました。この感覚はとても貴重なものだったと思います。
実際に傍聴し、議論をし、被告人が犯行に及んでしまった背景まで考えることで、自分が経験したことのない世界の現実をわずかながら垣間見ることになり、色々なことを考える機会となりました。この裁判を傍聴しなければまったく関わるはずのなかった他人である被告人に対しじっくりと思いを巡らせるうちに、被告人自身も家族を持ち、私たちと同じように日常をすごしていた一人の人間であるということに気づき、彼を犯罪者としてだけではなく、生身の人間として見ることができたということも私にとってとても良い経験だったと思います。
(荒谷有紗)

■「人を裁く」ということ―裁判員の「責任」について考える

裁判所、ここで話し合われていることは、当事者にとっては今後の人生に非常に重要な内容です。いままで人生を左右するような局面に出くわすことはあっても、それは自分の人生における問題であり、どんな選択肢を選んだところで、最終的には自分自身に責任が戻ってきました。しかしながら裁判員が判断を迫られるのは、被告人や被害者の、そして両者の家族の人生に関わる判断です。また刑罰は、被告人が反省及び更生をする機会を与えるものです。しかし罪に対応した罰の重さなど人に測れるのでしょうか。「何年刑務所に入ったから反省できる」というわけではありません。もちろん自らの人生において正解のない問いに対して答えることは多々あります。しかしそういった選択が正解かどうかは自分自身が今後の人生で答えればよいことです。けれども裁判員が判断した答えに対して、それが正しかったかどうか回答するのは被告人であり、裁判員は自分の判断が正しかったかどうかを証明することに関与することはできません。責任を負わないで判断できることは、裁判員にとってよいことだと思う人もいるかもしれませんが、私はそうは思えません。責任を負う必要がない、いや負うことができないことに対する判断ほど怖いものはないのではないかと思います。
しかし今回裁判員裁判では、証拠取り調べの際に、眠っているように見える裁判員も見受けられるなど、人を裁くことに対して恐れを感じているような裁判員がいたかどうかわかりませんでした。裁判員制度の実施に際して、裁判員の負担を出来る限り軽くしようと「分かりやすい説明」に力が注がれている一方で、裁判員が判断を迫られている事柄がいかに重いものであるかということについての説明が足りないように思います。過度な負担を負わせないことは確かに大事なことでしょう、しかし自身がしていることの重さを知らないままでは、その判断にも重さが伴わないのではないでしょうか。
(秋山広輔)



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