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【シリーズ・海外の司法参加】第1部:韓国編(下)-まとめ・韓国と日本を比較して-

2010年4月14日

裁判員ネットでは、諸外国の市民の司法参加について調査する活動を行っています。日本の裁判員制度と、世界の国々の裁判制度を比較・検討しながら、 市民の司法参加について海外にも視野を広げることで、日本の裁判員制度についての議論をより深めることができるのではないでしょうか。この連載では、韓国、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、ドイツ、イタリアの7カ国を取り上げ、それぞれの国につき3回程度に分けて定期的に連載をしていく予定です。各国の事情を知ることで日本の裁判員制度を考えるうえで参考になることが数多くあると思います。どうぞ最後までご覧いただければ幸いです。

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韓国編(下)-まとめ・韓国と日本を比較して-

「シリーズ・海外の司法参加」。今回は第3回目、韓国編の最終回です。第1回「韓国編(上)」で、国民参与員制度の導入の経緯と制度の概観、第2回「韓国編(中)」では現在の運用状況などを見てきました。最終回の今回は、韓国の国民参与員制度と日本の裁判員制度全体を通して、特に比較すべき点を取り上げて、全体の総括としたいと思います。

前回までの連載で述べてきたように、日本のお隣の国、韓国では、「国民参与制度」という形で司法への国民参加を実現させています。「陪審制でも参審制でもない、新たな司法制度を築こうとしている」という点は日韓に共通していますから、韓国の取り組みから私たちが参考にできることは多いのではないでしょうか。
さて、今回は、これまでのレポートで見てきたポイントを整理するため、日韓で大きく異なる部分を取り上げ、それについて改めて考察を加えてみたいと思います。私たちが特筆すべき違いだと考えているのは、以下の2点です。

(A)韓国では被告人に選択権が認められている。つまり、被告人が、陪審員による裁判で裁いてもらうか、今までどおりの裁判官による裁判で裁いてもらうかを決めることができる。
(B)陪審員は有罪無罪の判断のみを行う。陪審員の評決は「勧告」としての効力しか持たず、場合によっては裁判官が陪審員の判断と異なる判決を下すこともある。

(1)被告人の選択権について

ではまず、(A)について詳しく見てみましょう。韓国では、このような制度設計が原因で、国民参与裁判の件数が伸びず、制度が実施された意味が薄れているとの批判が多くあるようです。しかし、被告が国民参与裁判を避ける大きな理由の一つは、「世論が厳罰化の傾向にあり、一般市民が裁く裁判は被告人にとって不利である」との見方が根強いからです。センセーショナルな事件に「国民の健全な社会常識」を反映させた結果、いささか感情的な判断が下されてしまうということもあるかもしれません。韓国では市民の大多数が死刑を支持しており、現在は執行を停止しているとはいえ、一般市民が参加することで死刑判決が出される可能性もあります。被告人が極刑を含む厳罰に処されることを恐れて国民参与裁判を避けようとするのは、ある意味当然ともいえます。日本のように「すべての対象事件を国民が裁く」、と制度を変えればすぐに件数を増やすことができますが、それでは「厳罰化傾向と量刑の問題」は置き去りにされてしまいます。

ひるがえってこのテーマについて、日本ではどうでしょうか。日本では「被告人の選択権」についての議論はほとんど耳にしません。しかし日本でも犯罪に対して厳罰化を求める声もあり、また先進国では珍しく死刑制度が存続しています。こういった条件のもとで裁判員制度が行われているわけですが、仮に「世論」が感情的になってしまった事件が起きた場合、法の適用の公正さをどのようにして保つのか、というのは今後大きなテーマとなるでしょう。その意味でも「被告人の選択権」は公正さを保つための「工夫」として捉えることもでき、この権利の可能性について、もう少し議論を深めても良いのではないでしょうか。

(2)市民の決定権について

さて次に、(B)についてです。韓国では陪審員は有罪無罪の判断のみを行います。しかも陪審員の評決は「勧告」としての効力しか持たず、場合によっては裁判官が陪審員の判断と異なる判決を下すことがあります。こういった、陪審員の判断が「裁判官を拘束しない」ことについて、「国民の健全な社会常識が充分に反映されていない」、といった批判もあるようです。一方、日本においては、市民が有罪無罪に加えさらに量刑まで決定するのは「国民の負担が重すぎる」という対照的な批判が出ています。

ここで注目すべきなのは、どちらの制度が優れているかということではなく、裁判の中で市民がどこまで決定権を持つべきなのか、というテーマだと思います。そもそも、なぜ裁判に市民が参加するのかといえば、それは民主主義国家では「主権」が私たち「市民」にあるからです。ですから刑事裁判のみならず「市民」が「決定」に「参加」する形をどのようなものにしていくか、というのは民主主義の根底にかかわる課題と言えるでしょう。民主主義社会における「主権者」たる「市民」の意思をいかなる手続きや形態で「決定」に結びつけるのか。そこには「間接的参加(間接民主主義)がよいのか直接的参加(直接民主主義)がよいのか」といったテーマや、「そもそも民主主義というものどのように捉えるのか」といった、本質的な課題も含まれると思います。そして、勿論この課題はその国の文化や歴史によっても大きく変わってくることでしょう。この点について、日本とは対照的な設計となっている韓国の裁判制度を知ったことで、改めてこのテーマの難しさを感じるとともに、現在の日本の裁判員制度についても「本当にこれで良いのか」ということを考える必要があると感じています。

あとがき:韓国と日本を比較して

日本と韓国のそれぞれの制度を見比べて、すぐに結論に至ることはできなくとも、比較の中から新しい視点を得ることはできるのではないでしょうか。韓国の制度について調べる中で、日本の裁判員制度を考えていくためには、他国の制度との違いを知ることもとても重要なのだと実感しました。
(裁判員ネット:吹野加奈、竹越遥)

 

【参考文献】
□今井輝幸、2009「韓国における国民参与裁判の現状」 『刑事法ジャーナル』第15号
□神谷説子・澤康臣、2009「世界の裁判員-14ヶ国イラスト法廷ガイド」日本評論社
□白井京、2009「【韓国】「わかりやすい法令」と「量刑基準」-裁判員制度の条件整備」『外国の立法』No.240-1(2009年7月:月刊版)、国立国会図書館・立法考査局
□山内雅哉、2009「韓国「国民参与裁判制度」の調査報告」『LIBRA』2009年3月号、東京弁護士会 
□李銀模、2008「韓国の国民参与制度の内容と問題点(2008年7月28日の講演録)」『特別行事報告書・刊行案内』、関西大学法学研究所

【参考URL】
□韓国・大法院ホームページ(閲覧日:2010年2月21日)
http://www.scourt.go.kr/main/Main.work
□韓国法務省ホームページ(閲覧日:2010年3月27日)
http://www.moj.go.kr/
□神戸新聞ホームページ(閲覧日:2010年3月27日)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002019741.shtml
□共同通信・裁判員制度特集ページ(閲覧日:2010年2月21日)
http://www.47news.jp/feature/saibanin/47news/
□WoW!Korea(閲覧日:2010年2月21日)
http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2009/0424/10056404.html
□社団法人日本速記協会ホームページ(閲覧日:2010年2月27日)
http://www.sokki.or.jp/column/jury
□教育出版ホームページ(閲覧日:2010年3月30日)
-授業に役立つ話題「若林秀生『裁判員制度にどう向き合うか』」(2009)
http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/download.rbz?cmd=50&cd=1749&tg=28

(終)

【シリーズ・海外の司法参加】次回は「フランス」の予定です。
韓国編についての連載は、今回を持って終了です。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。次回は「フランス」の裁判制度をご紹介させていただく予定です。フランスでは裁判官と市民より選ばれた参審員が合議して裁判を行う「参審制度」という裁判を行っています。ではフランスの参審制度はどのようなものなのでしょうか?次回の【シリーズ・各国の司法参加】にご期待ください。



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