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【講演録】「裁判員になるかもしれないあなたへ」⑤ 裁判員ネット代表・大城聡

2010年4月30日

裁判員ネット代表理事の大城聡が、情報懇話会第197回例会(2009年12月16日)にて「裁判員になるかもしれないあなたへ」というテーマでお話する機会をいただきました。

「情報懇話会21」会報No.191(連合通信社)にまとめられた例会の様子を本コラムで紹介したいと思います(全5回)。

この講演について、皆様のご質問、ご意見もお待ちしております。

ご質問、ご意見のある方はinfo@saibanin.netまでお気軽にご連絡ください。

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「裁判員になるかもしれないあなたへ」⑤

□ヨーロッパ各国では「参審制」が多い市民の司法参加

□「市民参加」の多元性の面から裁判員制度を考える視点が重要

□3年後に見直しの規定あり。専門家ではない市民の視点で再検討を

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□ヨーロッパ各国では「参審制」が多い市民の司法参加

次に「裁判員制度と市民参加の土壌」ということについてお話します。

本日の話の最初に刑事裁判の最大の使命は冤罪を防ぐことであるとお話しました。裁判員制度は、刑事裁判と市民参加という二つの視座から考える必要があります。司法への市民参加というと、いま私たちの頭の中には裁判員制度が思い浮かびます。他には映画で出てくるアメリカの陪審制でしょうか。しかし、ヨーロッパでも市民の司法参加が行われています。

最高裁の『裁判員制度ナビゲーション』の中でもフランス、イタリア、ドイツの例が紹介されています。いずれも「参審制」です。参審制というのは日本の裁判員制度に非常に近くて裁判官と一緒に審理します。

具体的に見ていくと、対象事件は「一定の重大犯罪」(フランス、イタリア)、「原則としてすべての事件」(ドイツ)と違います。また、任期も違います。日本とアメリカの任期は事件ごとです。しかし、フランスは開廷期(3週間ぐらいが多い)で、その期間に起こった事件は全部担当します。イタリアは3カ月です。ドイツは4年だったのが最近延長されて5年間です。

ドイツの場合、日本の離婚事件などを扱う「調停委員」の役割に比較的近いのかもしれません。ドイツの選任方法は、市町村が作成した候補者名簿に基づき、区裁判所の選考委員会が選任します。ドイツでは地方議会に学校の先生も立候補できるのですが、この参審員に選挙に落選した人がなっている例が多いそうです。地方議会の議員にはなれませんでしたが、地域で何かやる時にこの参審員をしますという人が多いとのことです。

このように、各国の制度の概要も運用の仕方も違うのです。日本の司法への市民参加の形はどのようなものが良いのか。実際に始動した裁判員制度を検証しながら柔軟に考える必要があります。

□「市民参加」の多元性の面から裁判員制度を考える視点が重要

「市民参加」は、様々な領域で考えられます。政治の領域では、「投票」も市民参加の典型的なものの一つです。投票が政権交代という変化を生みだしたのは記憶に新しいところです。行政の領域では、地方自治体の諮問機関などに公募で入ったりする形があります。パブリックコメントも行政への市民参加の一例です。司法の領域での市民参加の一つがこの裁判員制度です。他にも司法の領域では、検察審査会があります。これは検察官が起訴しなかった事件について、市民の感覚から起訴すべきか否かを判断するものです。検察審査会の制度は裁判員制度と期を一にして、最近変わりました。検察審査会の権限が強くなったのです。最後は検察官が起訴しなくても弁護士を選任して検察官の代わりができるという形で、検察審査会の権限が大きくなっています。

市民参加という視点で裁判員制度を考えることは、非常に大事なことです。市民参加は、その場面によって市民に期待される役割が異なります。「投票」と「裁判員」では、市民参加であっても期待される役割は違うのです。市民が「裁判員」として司法に参加するときにどのような役割を担うべきかということを私たちは考えなければいけないのです。これは「司法」は私たちの社会の中でどのような役割を果たしているかを考えることでもあります。この文脈で法教育、司法リテラシーにも光があたってくると思われます。

裁判員ネットでは、司法への市民参加の一つの方法として、裁判員裁判の市民モニターを実施しています。裁判員裁判では、裁判員のために法廷で見て聞いてわかる審理が行われるようになっています。法廷を傍聴すると裁判員とほぼ同じ情報を得られるのです。百聞は一見に如かずという諺のとおり、実際の法廷を見ると多くのことを考えさせられます。また、裁判員ネットでは傍聴した事件について「模擬評議」も行っています。傍聴する市民には守秘義務がないため、判決後に評議を振り返り検証することもできます。今後は守秘義務に反しない範囲で裁判員経験者と裁判員候補者の交流の場を設けるなど、市民社会で裁判員裁判の経験を共有できる場もつくっていきたいと考えています。これらは司法リテラシーを身に付ける機会であり、広い意味では司法への市民参加の一つなのではないかと思っています。

□3年後に見直しの規定あり。専門家でない市民の視点で再検討を

裁判員法には付則で「3年経過した後、必要があれば見直す」という規定があります。必要がある時は見直すということは必要がない時は見直さなくても良いことです。しかし、裁判員制度というのは日本の刑事裁判を根底から変えるものですし、かつ多くの人が刑事裁判に関わるという非常に身近な問題でもあるので、恐らく何らかの見直しはされると思います。私は、この見直しをしなければ裁判員制度は正しく根付くことはないと考えています。

その時に、この制度はそもそもなぜ必要なのかという根本的な問題から考えていくということは、極めて大事です。

先程お話したように裁判員制度は、これまでの刑事裁判の評価を「棚上げ」して妥協の産物として生まれました。裁判員制度が始動して3年経過した時に、今度は市民の側から本当に必要なのか、必要であれば続けていく場合にどこが問題なのかということを問題提起できるかどうかがポイントです。法律の専門家だけではなく、市民が参加するところに裁判員制度の特徴があるのですから、制度の議論に市民が参加することは当然なのです。その議論をとおして裁判員制度が根付くための市民参加の土壌が育まれるのだと思います。

その時、一番大事な視点は、最初にお話したように刑事裁判の最大の使命は冤罪を防ぐことだということです。裁判員制度が刑事裁判を対象として行われる以上、この視点を最も大事にしなければなりません。冤罪を防ぐということが目的であって、裁判員制度はそのための手段です。その視点で裁判員制度が本当に必要かどうかを考え、議論することが不可欠です。このような議論を経ずに裁判員制度が存続すれば、だんだんと形骸化するおそれもあります。どのような司法制度を持つべきなのかということは、主権者である市民が本来は決めるべきことです。裁判員制度が始動した今、刑事裁判も身近になりつつあります。この状況の中で、裁判員制度をどうするかという責任はみんなで持たなければいけないのかなと思っています。

(以上)

裁判員ネット代表・大城聡



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